第1話 小首をかしげた?青葉通り
のりこ様は「るーぷる仙台」がお気に入り♪
エッセイ【るーぷるの車窓から】
第1話 小首をかしげた?青葉通り
仙台駅前を出発した「るーぷる仙台」は、青葉通りに入ります。そこで、ちょっと“小首をかしげて”青葉通りが出迎えているのをお気づきでしょうか。
仙台駅前のペデストリアンデッキから西側を見れば、青葉通りは真っ直ぐではなく、わずかに折れ曲がっているのがお分かりいただけるでしょう。
その角度、およそ10度。
このような小首をかしげた?愛らしいポーズは、どのように生まれたのでしょうか。
昭和20年7月10日未明。仙台は、空襲により、市内中心部を焼失しました。それから2年後、本格的な復興が始まった頃の話です。
南北に走る国道4号を、国分町通りから東二番丁通り(現電力ビル前の通り)に移し、50mに拡幅。仙台駅から西にのびる青葉通りも、当初は幅50mの道路となる計画でした。しかし、「そんな広い道路を作って、飛行機でもとばすのか」といった非難もあり、一部を36mの幅に変更したといいます。
このとき、青葉通りが直線のまま施工されると、仙台駅の駅舎の位置をずらす必要がありました。東五番丁、つまり今の愛宕上杉通りとの交差点で10度だけ曲がったスタイルは、このために起きたことでした。
当時は、駅舎をずらして直線にすべきだという意見もあり、
「曲がっているものを真っ直ぐにするのは、曲がった考えである」
「曲がっているものを真っ直ぐな考えだと言うのは、曲がった考えである」
という、ややこしい論争が、真っ向から対立しました。
この問題の結末は、建設院の総裁に、決定が委ねられたそうです。
戦争に押しつぶされた人々が、自分の街づくりに、本気になって意見を述べ合う、若いはつらつとした、自由の喜びがあったのかもしれません。
参考文献:「曲直問答実録」今泉清著
(るーぷるエッセイ第1話 おわり)
2009年8月作成
るーぷる仙台は、仙台駅前バスプールの「15-3番のりば」から。