第4話 鉄鋼の父 本多光太郎の面影

のりこ様は「るーぷる仙台」がお気に入り♪

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エッセイ【るーぷるの車窓から】

 
第4話 鉄鋼の父 本多光太郎の面影

 

晩翠草堂前を出発したるーぷる仙台は、大きく左に曲がります。

仙台高等裁判所を回り込むように走ると、左手に見えてくるのは、東北大学・片平キャンパスです。

ここは明治40 年に東北帝国大学が創設された地で、古い建築物も残されています。

その一つ、金属材料研究所(金研)の前に、明治初期の日本の頭脳とも呼ばれた、本多光太郎博士の像があります。

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「鐡は金の王なる哉」を座右の銘とした本多博士は、高木弘とともに、「KS鋼」を発明した人。

これは当時世界最強といわれた永久磁石で、以後、日本は、この分野で世界をリードし続けることとなりました。

「KS」とは、研究資金を出した住友吉左衛門(住友財閥)のイニシャル。

「鋼」とは当時、磁石が特殊鋼の扱いだったことに由来するそうです。

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愛知県生まれの本多博士は、お国なまりが抜けず、住友本社に挨拶に行くと、「KS鋼はまだあまり注文がないそうじゃが、そのうちどんどん来るようになるじゃろうから、まあ、ゆっくりやることだわなぁ」。

また、「自分の結婚式を忘れて研究に没頭していた」とか、「今が大切」と揮毫してみれば「今が大功」となっていたとか、ドイツ留学時はスーツに口髭の洒落ものでも、日本では着古した着物、ちびた下駄、坊主頭であったとか・・・。

天才の二文字が似合うエピソードにも、事欠かなかったそうです。

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研究員を見守る目は、確かなものでした。

学術書には「わが研究所(金研)のことに就いて一言申しあげます」と筆を起こし、所員がどのような研究をしているか、簡潔明瞭に紹介されたそうです。

また学生に対する講義は気配りが行き届き、論文の添削も鋭く、実にきめ細やかだったといいます。

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死の床では、「光に乗って仙台に帰りたい」。

それが博士の願いであったと言われています。

光波、ナノ秒単位での世界を夢みていたのでしょうか。

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るーぷる仙台は、片平キャンパスのあたりから霊屋橋(おたまやばし)の方向に右折します。

その先に、本多博士が仙台時代に住居とした建物がありました。

現在は、「本多会館」として保存されています。

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 参考文献:

 本多光太郎ーマテリアルサイエンスの先駆者ー2004年アグネ技術センター刊
 電子立国日本育てた男 松尾博志著 1992年文芸春秋刊
 東北大学ホームページ

(るーぷるエッセイ第4話 おわり)

2010年4月作成

※注1:東北大片平キャンパスには、るーぷる仙台は停車しません。

※注2:本多会館は、一般の見学向けに整備された施設ではないようです。


周辺の案内図がついたバス停もあります。気ままに散策など楽しんでみては。

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