第5話 広瀬川のほとりにあった動物園
のりこ様は「るーぷる仙台」がお気に入り♪
エッセイ【るーぷるの車窓から】
第5話 広瀬川のほとりにあった動物園
るーぷる仙台は、4つめの停留所「瑞鳳殿前」(ずいほうでんまえ)を発車すると、評定河原橋(ひょうじょうがわらばし)を渡ります。
この橋の左手には、大きく蛇行する広瀬川の流れが見えてきます。
この流れの内側の土地は、昭和初期の大恐慌時に、失業対策として行われた埋め立て工事でできたもの。
当時の市議会は、この土地の利用について、画期的な企画を打ち立てました。
それが、東京以北では初となる「動物園」でした。
仙台に、全国11番目の動物園が開園したのは、昭和11年4月。
土地は8,000坪(約2,7ha)で、現在のユアテックスタジアム仙台と、ほぼ同規模の広さだったといいます。
動物の多くは、東京都の「浅草花やしき」から購入され、ゾウ、シロクマ、ライオンをはじめ、大小100種類もの動物が仙台にやってきました。
仙台市民からも、動物のほか、サクラの苗木などの寄付が寄せられました。
当時の新聞によると、開園を待ちきれない市民が大勢並び、開園時間を繰り上げたとか。
開園の年、入園者は、12月までに31万人に及んだと、記録にあります。
しかし、第二次世界大戦が勃発し、戦火が忍び寄るなか、各地の動物園では猛獣の殺処分が始まりました。
仙台も例外ではなく、昭和20年7月、戦災の中で、この動物園は静かにその幕を閉じました。
多くの無垢な動物たちも、運命を共にしたといいます。
この動物園の設計や飼育などを指導したのは、当時の上野動物園で園長を務めた古賀忠道氏でした。
古賀園長は、後に「ZOO IS THE PEACE」(動物園は平和なり)と世界に発信し、子供には「弱いものをかわいがる心を育てたい」という言葉を残されました。
現在この土地は、花壇団地や自動車学校などに利用されています。
参考文献:
仙台市交通局50年史(仙台市交通局)
八木山物語(石澤友隆著)
八木山動物公園ホームページ
河北新報昭和11年4月1日
(るーぷるエッセイ第5話 おわり)
2010年9月作成
るーぷる仙台は、1周1時間強。15~20分間隔で運行されています。
片方向だけの運行で、逆回りは、ありません。